どうして夜は
どうして夜は人肌恋しくなるんだろ
どうして夜は誰かに会いたくなるんだろ
どうして夜はこんなに寂しいんだろ
大切な人と些細なことで喧嘩して、でも仲直りしたくて、べそかきながらスーパーで大好きな人が大好きなお寿司を買って帰ろうと思ってカートを取ろうとした瞬間に
ガラスの向こうでカゴを取ろうとした大好きな人と目があった
驚いて固まっていたわたしに近づいてきた大好きな人は、「あなたの好きな豆乳を買って帰ろうと思った」と言った
怒ってると思ったのに怒ってなかった
怒らないでって泣きそうな顔で言われても、泣きそうなのはわたしだったと思う、嬉しいも悲しいも、きちんと素直に表現できないわたしは捻くれてる自分でもわかってる
だけどこんなにも大事に思う人に大事に思われてるって幸せなことだなと、幸せすぎるなと
時間が経っても、関係が深くなっても、いつまでもこの気持ちを忘れたくないと思った
愛しい人を大事にできるように、しっかり自分のこともちゃんと好きになりたいし、自分のことも大切にしたいし、だけど自分本位にもわがままにもなりたくない
夜になると
こんなにも人肌恋しくなるのはなんで
誰かに、いや大事な人に会いたくなるのはなんで
こんなにも寂しくなるのはなんで
くだらないことで笑いあえる毎日が、ずっとずっと続けばいいのに
好きな人に好きになってもらうなんで都市伝説だと思ってた
みんなどっちかが折れたり、あるいはどっちも妥協して、それでもニコニコしてるんだろうな気持ち悪いって思ってた
こんな捻くれてたわたしをゆっくりそっと解してくれてありがとう
出会ってくれてありがとう
初めて会って話した日のこと
初めて優しくしてもらって驚いた日のこと
初めて連絡先を聞かれた日のこと
初めて内容のない電話がかかってきた日のこと
初めて一緒にわたしの好きなものを共有してくれた日のこと、全部全部覚えてる。忘れたくないな~~
好きと言われたから好きになったのかとか、過去に大好きだった人に似てるから好きになったのかとか、優しくされたから好きになったのかとか、いろんなことを考えたこともあったけど
もう全部どうでもいいやそんなこと!
普通に生活してたらきっとというか絶対出会えなかった人に出会えたこと、その人と想い合えること、そんな奇跡みたいなこと、この世にあるとしてもわたしに降りかかるなんて夢にも思ってなかった
この選択が正解だったかなんて、死ぬまでわからないし、きっと死んでもわからないかもしれないけれど
自分の選択や少しの勇気やきっかけや積み重ねに感謝してる
自分のことわしゃわしゃして褒めてあげたい
ありがとう
いつまで続くかわからないこの毎日を、毎日きちんと感謝して過ごしたい
おやすみなさい
玉ねぎ娘
呆れないで笑ってくれるって、有難いことだなあ、有難や、有難や、南無南無、南無阿弥陀。
ここ数日の間に、喉が腫れて、粘性のある鼻水もあって、痰も絡んでいて、おや〜〜風邪かな〜〜?と思う節があったので、玉ねぎを1つと1/2個お鍋にぶち込んで、ぐつぐつして、ぺろりと食べた。
元気を取り戻すために、食べた。
私は日頃から、「香り」や「悪臭」には敏感だけど、特に生活の中での「臭い」には疎い。
はっは〜ん!この人昨日は餃子食べたナア〜〜?
とか
ズバリそこの君!ニンニクの匂いすごいぞ!?お昼のラーメンにニンニク入れたろ?!
みたいなことって、ないんだ、ほぼ無い。というか、日常で生活していて、「ごはんの匂い」が染み付いてたり、体臭や口臭として現れてるっていう現場に出くわしたことがなかったし、実際気にもなってなかった。つまり、自分も大丈夫だと思っていた。
ら、
「玉ねぎ臭い!!!」と、この様である。
こちとら、
へ?ハア?ねぎ類は臭うっていうけどさ、けどさけどさ、え?そんな臭いする?っていうか玉ねぎ食べたくらいでそんな臭う?玉ねぎだぞ?え?おや?は?ハァン?
という気分である。
しまった。
ああ、よりによって玉ねぎが苦手な人と長い時間過ごすというのに。やってしまった。ごめんなさい。配慮が足りませんで。すいやせん。さあせん。
と思っていたら、「玉ねぎ娘」と名付けられた。
これってさ、きっと何気ない一言だと思うんだけど、すごく救われる一言だったりするんだよね。(世の中にはこの一言で傷つく人ももちろん一定数いると思うんだけど、私は救われた、という話!)
笑って「ひど〜〜い!」と言いながら、救われた自分がいた。
なんか、本当に色々と救われてる。
アー!やってしまった、ガーン。ちーん。と思って凹んでしまいそうな時に、明るくフォローしてくれる。愛。
あー、いまおならしちゃった!ごめん!くさい?って言ったら、ここ換気扇回しちょるけんおならスペースだからどんどんしなさい!と言われ、
トイレとか行きにくいなあとか思ってたら、あなたうんちしよる?!カラダに悪いからしなかんよ!と言われ、
これ使わせてもらっていい?これ置かせてもらっていい?って言うと、許可なんていらないから好きに過ごして好きなものどんどん使い!自分の家だと思って!って言ってくれて、アーこれがアレね、ふむふむ、なーんて思っている。
親しき仲にも礼儀あり、って、思ってる。
でも、その礼儀と遠慮は、違うのかなあとも思うようになってきた。
遠慮してたら、人との距離を、いつまでも詰められないんだろうなあ。
と思いつつ、親しき仲にも礼儀あり、なのに親しくなったつもりで礼儀を忘れてしまって、人間関係をクラッシュ!した苦い苦い思い出が山ほどあるので、気をつけなければ、とも思う。
礼儀と遠慮、難しい、境と、ブレーキ。
こんな考えてばかりで、暗くて、ネガテイブで、どうしようもない私のことを、受け入れてくれて、有難う。有難う、有難う、有難や。
どうしようもない私の言動に、呆れないで笑ってくれて、有難う。
たくさんたくさん、救われる。
玉ねぎ娘は、一つ勉強になりましたので、今後気を付けさせていただきます。ですので、今後もどうぞよろしくお願い致します。はい。
では。
37分
数百キロの距離が、数十キロになった。
彼はそれまでの生活を捨てて新たなスタートを切った。
その日その時の目の前だけを見て、大切にされてないとか、わたしのエゴでしかない。欲張りだ。こんなにも大切にしてくれているのに。ね。
私自身も、もっともっと彼のことを尊重したいと思っているし、彼を大切にしたいとも思っているし、大切な彼を失いたくないし、すごくすごく彼には感謝している。
私にとって大事なものや大事な時間、過ごし方やこだわりがあるように、相手にも全く同じように大事なものや大事な時間、過ごし方やこだわりがあるということを、理解しているようで理解しきれていない気がする。
焦る必要も求める必要ももう無くなったわけだし、こちらにも余裕とタフさと懐の深さが必要だと思う。
すぐにイライラするし、神経質だし、自己中だし、せっかち。
後から後から思い出しては、ああ自分本位だったなあって思って、自分のことがどんどん嫌いになる毎日で、猛反するくせに、また同じ事を繰り返す。
人間の欲深さ。わたしの弱さ。自己コントロールができない。わたしはわたしが嫌いだー。
距離感も、求め方も、怒り方も、伝え方も、全部全部難しい。
全部全部難しくて、全部全部うまくいかない。
もっと、大切にしたい。
彼がこんなにも大切にしてくれている事、きちんと理解して、もっとわたしも大切にしたい。行動で示したい。
自分本位ダメ。絶対。
相手がが嫌だろうなあと思うことは、わざわざしない。絶対。
困らせるようなことは、言わない。絶対。
自分に厳しく、相手に優しく。絶対。
大切なものであればあるほど、気を張ってきちんと守っていかなければ。
気心知れたと思って、なんでもかんでも押し付けると、どんなにお互いが大切に思っていたとしてもダメになる。
一度ヒビが入ったら形は治っても傷跡は残る。
いままでのことを思い出して、それを繰り返さない。
いつまで一緒にいられるかわからないし、いつかぶつかる壁も必ずあるし、永遠なんてないのも知ってる、夢を見てる年齢じゃないし、たくさん痛いほどの現実をみてきた。
がんばれ、がんばれ。
いろんな面も見えてくるし、おや?っておもうこともある。
それはお互い様だ。
数百キロの距離を、いろんなものを捨てて埋めに来てくれてありがとう。その事実がいちばん。それ以外にはもう何もない。ありがとう。
大切にする。大事にする。
せっかち、自己中、神経質、なおす。
周りにいる大切な人を、もっともっと、ずっとずっと、大切にしたい。大切にする。
37分なんて、すぐだ。
きらいだよ!
きっと相手にとってはなんでもないことなのに、こんなにまわりくどくいろんなこと考えちゃうんだろうね!なんでわかったってふたつ返事で答えてあげられないんだろうね!何してるんだろうねわたし!自分がきらいだね!はあ!きらいだよ!
自分が大事にされてるかとか、そんなことばっかり考えてるわりに、もともと大事にされるような人間じゃないんだよなあ、そんな人間を大事にしようとしてくれる人がいるって、すごいことじゃん。すごいよ。なのになんでその人を大事にできないの。ばかなのかな?自分がきらいだね!
結局わたしは欲張りで、なんでもかんでも手に入れたいんだ。そして手に入れたら次が欲しくなるんだ。半年前のわたしが知ったら欲張りすぎ!って鼻で笑うぞ。いい加減にしろ。
電話でも傷つくかもしれないってわかってるのにわざと試すようなこと言って、むこうがちょっと妬いてるの見て満足して。っていうかそれって満足なの?満足って何?自分さえ良ければいいわけ?言い訳していいわけ?よくないよね?わかる。
相手のことを大切に思ってるからこそ不安になる。から、その気持ちをわかってほしいし、不安にさせないでほしいし、無神経だなと思う。
そう、無神経だなと思う。
無神経って時には人を傷つけるんだなあ〜〜と思った。
でもわたしはわたしなりに、〇〇は△△だし、まあしょうがないか!って納得するんだよ。するんだ。なのに、やっぱりもやもやして、友だちに話して、友だちが「それは相手が無神経だよ〜〜」とか言ってくれるのを聞いて、はーなんだわたしやっぱおかしくないや!って自分を結局正当化する。わるいおんなだ〜〜。わたしは。
わたしは、自分がきらい。
きらいなら、好きになれるように、ダメってわかってることはやめればいいのに。しなければいいのに。それでも繰り返しちゃう。そしてそんな自分にまた腹が立つ。横にしても立つ。斜めにしてても立つ。立つよ。もうダメ。
こういうの抜きで、きちんと心の底からおめでとうって言いたかった。むりだ。むりむり。ごめんね。でも大好きなのも大切なのも、本当だよ。いろんなことを経験させてくれてありがとう。
一人じゃなにもわからなかったし、いままで一人で過ごしてきた時間が長かったから、その分有り難みもたくさん感じるし、こんなやつに、こんなやつに、って毎日思ってる。
こんな自己肯定感低くて、自分を卑下してばっかりのわたしのどこがいいんだろうか。
最低人間だ。わたしは。わたしは、自分がきらいだぞ!!!!!!!!!おやすみね!!!!!!!!ほんときらいなんだから!!!!!!、!!、、(;_;)(;_;)(;_;)(;_;)(;_;)(;_;)(;_;)(;_;)(;_;)(;_;)(;_;)(;_;)(;_;)(;_;)(;_;)(;_;)(;_;)(;_;)(;_;)
それでは。
これを見返す頃には笑えてるといいね!!フン!!
どっちもなんて欲張りだ
出会いと別れと継続と。
4月になった。
3月に、大好きな仲間との涙涙の別れを惜しみ、わたしは社会という荒波に揉まれるというのに軽装備で挑んだ。
たくさんの出会いがあって、それは嬉しい楽しいばかりではなくて、傷つくことも落ち込むことも多くて。
軽装備で飛び込んだ無計画でバカな自分を呪う。
社会人になるという事実は、想像していた以上に責任が重いことで、理想と現実の自分にギャップがありすぎて、毎日が苦しい。
なにひとつうまくできないことが本当に悔しい。
ベテランの方の隣に立って、わたしは本当にダメだなあと落ち込んで、逃げ出したくなる。
1年目は1年目にしかできないことがきっとあるって言われた言葉が、果たして1年後のわたしに理解できるんだろうか。
家族も、友達も、大切な人さえもおざなりで、そのくせ自分のことは大事に大事にして、本当に自分本位な毎日。
自分の話ばっかりで、話を逸らされると
「いまその話ししてない。」
は?なんなんだ偉そうに。
わたしが逆の立場だったら蹴り飛ばすぞ。
大切な人たちを、大切にして行きたい。
たくさんの愛を、わたしも返したい。
わたしよりもきっとずっとしんどくて、休みもなくて大変なのに、変わらず愛してくれるあの人に、連絡が少ないとか、冷たいとか、そんなこと言う資格はないし、思ってもないけど、会えないのは寂しくて、だけど会いに来てなんて図々しいこと言えなくて、かといって会いに行くなんて面倒なこと言えなくて、会いたくて会いたくて、夜になると毎晩あの人のことを思い出す。
研修で、同期と話していて愚痴の吐き出し合いになったとき、わたしそう言えば愚痴なんてないなとふと思った。
つい数ヶ月前まで愚痴しかなかったし、口を開けば愚痴が流れるように溢れて来て、コミュニケーション下手なわたしでも、きっと愚痴なら何時間でも話せるんじゃないかと思っていた。
彼と出会ってから、周囲に苛立たなくなった。
彼と出会ってから、あんなにもギスギスしていた家族とも穏やかに生活できるようになった。
彼と出会ってから、わたしは、変わった。
彼と出会ってから、わたしは、心にゆとりができて、穏やかになって、前向きになった。
今は、社会の荒波に揉まれて、自分の中では処理しきれなくて、溺れそうになるのが現実だけど、ここで溺れて流されてないのは、彼の存在のおかげかもしれない。
自己肯定感が低くて、自分に自信がなくて、そんなわたしに根気よく愛を伝えてくれて、なのにそれを素直に受け入れられないわたしを、優しくあったかく、ゆっくり待ってくれた彼に出会って、わたしは、以前よりは自分のことが少し好きになったし、自分を大切にしようと思えるようになった。
たくさんのありがとうと、わたしも彼にとってそういう存在でありたい、そういう存在になりたいと思う日々。
こんなにも人生が楽しくて充実してて、毎日がキラキラしてるだなんて、ずっと知らなかったんだよ。
継続は、力なり。
さて、あと少し働けばGW。
頑張りましょっと。
おやすみないです。
終わりは始まり
自分や家族と同等に、いや、もしかしたらそれ以上に大切だと思える人が出来てから2か月と少しが経った。
わたしは今まで、自分のことを大切だとは微塵も思っていなかったし、実際自分のことを大切にしようと思ったこともなければ、大切にもしていなかったように思う。
ただ、バカ真面目で優柔不断で臆病で面倒くさがりな性格のせいで、自分で自分をボロボロにするような事態は意識的には無意識かはわからずとも避けて来たのが唯一の救いだと思う。
自分や家族と同等もしくはそれ以上に大切なあの人とわたしは、家族のように、なにがあっても愛情を注ぎ続けてくれる関係ではなく、わたしの言動ひとつで関係性がすぐに壊れてしまうかもしれないような脆い関係。
ライン一つ返すのにも、電話で一言を発するのにも恐怖が付き物で、平気な顔をしながらその恐怖と毎日戦っている。
なにも考えずにぽーんと何かを発信した日には、後から後悔の念で押しつぶされそうになる。
「嫌われたかな」なんで思うのは、「嫌われたくない」証拠で、つまり大切なんだなあ、とか思いながら、わたしにそんな相手ができたことに喜んでくれる友人もいて、ひょっとして、今、わたしは、人生の頂点にいるんじゃないか?とか。とかとか。
大切な人が出来てから、わたしは、自分自身とあの人、だけじゃなくて、家族や友人も大切にするようになったと思う。
わたしを、良い方向にばかり変えてくれるあの人の存在に助けられている代わりに、なにも出来ないなにもしないわたしに、自己嫌悪の念が芽生える。
わたしって、なんなんだろう。
そんな調子だから、こんなわたしを無条件にいつまでも愛し続けてくれるなんて思ってないし、思わない。
でも、愛し続けられたいし、わたし自身も愛したいと思ってる。そのために、愛され続けるために、日々の日常から自分自身を見つめ直す必要があると思っている。
素直になるのが昔から苦手で、15歳のわたしからは、「相変わらず見栄っ張りですか?自分に素直になってください。」だなんて言われてしまった。わたしは相変わらず見栄っ張りだよ。
でも、「苦手」とか「得意」とかじゃない。
一緒にいたいから、そのためなら、わたしは、素直にもなる。素敵にもなる。一緒にいたいと思ってもらえるような魅力のある人になる。なりたい。
そんな活力をくれるあの人に感謝感激。
4月からも、いろんなこと、頑張るよ。頑張ろうね。やっほー、社会人、がんばってる?ひゅーひゅー!
続かなくてもいい。好き。
そんなことを言っていたけど、今は、ちゃんと続きたい。続けるために、努力したい。続きたいよ。
未来のことなんてわからないけど、どんな道だろうととにかく幸せな未来が待っていますように。
おやすみなさい。
p.s. さくまさん最後の話させてーや。寂しい。これからもずっと、いままでもずっと、大好き。さよなら。