今を生きる

生きることは、死ぬこと

好きとか愛とか恋とか

 

目まぐるしい毎日に追われて、ここその存在を忘れていたわけじゃないけれど更新できない日が続いていた。

最近、自分自身の考えがわからなくなるほど混乱することがあったので文章にして改めようと思う。


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わたしはいつも1人で生きてきたから、誰かが常にずっと無条件に味方でいてくれる喜びを知らなかった。

誰かの一番になりたいくせに、その人にとっての一番が自分じゃないことに気づくのが惨めで、初めから誰も一番にしてこなかった。

友達にすら、「わたしと一緒で大丈夫?」とか聞いちゃうこの感じ。お疲れ様。


自己肯定感も低いし、わたしを好きでいてくれる人なんていないし、もしいたってそれは一時的なもので、って思ってて。いや、思ってる。

わたしが捕まえたかったあの人の背中は、いつも気がついたら消えてるから。

手を差し伸べてくれて、大丈夫?と声をかけてくれて、死ぬほど嬉しくて、頼ってみようって思った大人たちは、みんな愛想をつかしていつのまにか消えて行った。


永遠なんてないし、きっと一時の感情なんだろうけど、それでも真っ直ぐ向き合って好きだと行ってくれるあの人がすごい。尊敬の域。

なんであんなに真っ直ぐに好きって言ってくれるんだろう。言えるんだろう。自分に自信があるのかなあ。わたしには到底無理だ。

それにわたしなんかに好かれたら迷惑だろうなあと思うと好きだなんて到底言えないや。

好きって言ってくれてるんだし、わたしも好きなのに、うまく答えられなくて、相手にも申し訳ないし、自己嫌悪だし。


このままじゃ、好きになったらわたしはどんどん依存してしまうから。

相手は素敵な人だし、新しい恋だってすぐできる。

そう思うと居ても立っても居られないけど、わたしと一緒にいるよりも幸せなんじゃないかなと思う。


大好きなくせに、まだ好きじゃない、好きじゃない、好きじゃないって自己暗示をかけて自分を誤魔化して

そんな誤魔化しを、出会ってからの時間が僅かであることと、明確な好きという理由がないことで正当化した。

でも、好きになるのに時間も理由も必要なかった。


わたしはもっと、自分自身のこと恋愛に対してドライな体質だと思ってたよ。

こんなに毎日電話したりできるようなタイプだとは思わなかった。周りにも驚かれるしね。

だからこそ、好きって自覚したらどんどんのめり込んでしまうと思う。

こんなにズブズブ浸かるだなんてなあ。

1ヶ月前の自分じゃ想像もできなかった。


別に好きでもない人の隣にいるより、遠距離だしいつまで続くかもわかんないし危なっかしいけど、大好きな人の隣にいるほうが、自分にとってもずっとずっとずっとずっと幸せだと思う。

その大好きな人は、わたしにとってのその人だと思う。

続かなくても良い。好き。


早く体調良くなりますよーに。(自分)

勉強

 

勉強する。

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それになんの意味があるんだろうと、ふと考える。でもわたしは勉強する。

「人生、最後まで発見と驚きの連続だよ」

どこかで聞いたことがあるようなないような。わたしは信じてないよ。


20年と少し、生きていたけれど、驚くことも、悲しむことも、ひらめくことも、ぐんと減った。

なんでこんな勉強してんのかなーあーあーあーとか思いながら、今日もまた図書館に向かって、机に向かう。向かう向かう向かいまくり。


いい就職先に出会うため?賢い人たちと出会って人生を豊かにするため?はたまた誰かを騙したりするの?人を助けるの?なんのため?ねえなんのため?

勉強して何になるの?


疑問は募るばかり、でもわたしは勉強するよ。

なんのために勉強するかなんて、わからないけれど。

生きることと死ぬこと

 

生きることと、死ぬこと

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どっちが辛いんだろう、苦しいんだろうと考えたのが昨日の夜。

結局、「生きてても辛いことばかりだから、生きることのほうが死ぬことよりもずっと辛くて残酷だ」という結論にたどり着いて、目を閉じた。

心の底から憎くて、悲しくて、辛くて、でも醜い感情を持ってしまう自分に更に腹が立った。

グラグラ、グツグツ。

疲れもあって、しばらく布団の中で考え事をしていたら寝ていた。


 

朝起きたら、なんでもない日常だった。

昨日の感情も、どうでもいいほどあっけらかんとしている自分に呆れつつ、朝の支度をした。


昔、母によく怒られた。

母は前日の夜にとても怒っていても、朝起きるとおはよう、と言って朝ごはんの準備をしてくれていた。

それがどれだけ凄いことなのかを、思春期に入って気づく。


わたしの怒りは寝ても治らなかったから。


でも今日はなんだか違った。とても悔しくて、悲しくて、辛かったのに。傷もまだ痛むけれど、あんなに痛かった心は痛くなかった。

歳を重ねて、痛みに鈍感になったのか?はたまた慣れなのか?経験なのか?大人になったのか?

もう明日から笑えないや、と投げやりになった人生も、寝て起きたら案外すっきりとしたくだらないことで、やっぱりもう少し生きてみようかな、と思った。明日明後日を、生きてみよう。


死ぬことは、生きることよりずっと簡単だけれど、それでも生きていたいと、思う、そんな日もあったって、いいじゃない。

また今日も寝たら明日が来て、いろんなことがあるんだろうね。


また辛いことがあったらいっぱい寝よう。

そうしよう。

おやすみなさい。