今を生きる

生きることは、死ぬこと

共同生活

 

共に同じ時間を過ごして生活する、短いやつだと学生をしてるとたまにある例のやつ。小学校だと林間学校とか修学旅行とか?


私はまさに今、共同生活の真っ只中である。(一泊二日だけどね!)

f:id:ochimoon:20160629025453j:plain

当たり前だと思ってることが当たり前じゃなかったり、その逆も然り。こんな少しのことで動揺していたら、きっと私は結婚して、同居なんぞしたら死んでしまう!なんてね。そんなことを思いながら生活をした。ちなみに結婚する予定はないです。

紅ショウガを食べる人と食べない人がいるように、七味をかける人とかけない人がいるように、ごはんとジュースを飲み合わせる人と、ごはん中はお水かお茶しか飲まない人がいるように、ドライヤーで髪の毛を乾かす人と乾かさない人、はたまた半乾きで良い人がいるだとか、人間という生き物は、実に様々である。

私のように細かい人間は、いろんなことが気になる。そして、気になったら頭から離れなくなる。悪い癖だなぁと自覚しているにもかかわらず、治らない。これはとても悪い癖なのだ、だって人の良いところが気になって頭から離れなくなることなんてないのだから。いつも頭から離れなくなるのは、ちょっと目につく気になるところ、つまりは悪いところ、なのだから。改めねばならないが、気になる事は気になるのだ。気になる事を気にしなくなる事が、大人になる一歩なのだろうか?そんなこと、まだまだわからない子どもである。子どもで結構!


他人と一緒に暮らすこと。

家族と一緒に、当たり前に毎日生活し、暮らしていることの凄さ。そして何億人もいる人類の中で、家族として一緒に寝食を共にしているのは、片手に収まる少ない人数。家族という世界は、とても狭い。

狭い世界には、偏りがある。仕方がないことだろう。

世界は、狭ければ狭いほど偏る。そして、それは私の家庭も例外ではないだろう。他人から見たら、私は、どんなところがどんな風に気になるんだろう。今暗闇で携帯を開いて文字を打ってる事自体非難の対象だったりして。だったりしてね!知らないよ!

当たり前の毎日と、当たり前の生活。違った日常を過ごす事で、見えてくるものもある。そんな事に気づいた夜でした。

みんな違ってみんないい。小学校の時に習った金子みすゞさんの詩を急に思い出した。いい詩だな。素敵だ。素敵すぎる。あゝ、素敵。私も誰かに伝えていきたい。伝えられるだけの説得力のある包容力やらなんやらかんやら身につけよう。いつか。


では、おやすみなさい。