出会いと別れと継続と。
4月になった。
3月に、大好きな仲間との涙涙の別れを惜しみ、わたしは社会という荒波に揉まれるというのに軽装備で挑んだ。
たくさんの出会いがあって、それは嬉しい楽しいばかりではなくて、傷つくことも落ち込むことも多くて。
軽装備で飛び込んだ無計画でバカな自分を呪う。
社会人になるという事実は、想像していた以上に責任が重いことで、理想と現実の自分にギャップがありすぎて、毎日が苦しい。
なにひとつうまくできないことが本当に悔しい。
ベテランの方の隣に立って、わたしは本当にダメだなあと落ち込んで、逃げ出したくなる。
1年目は1年目にしかできないことがきっとあるって言われた言葉が、果たして1年後のわたしに理解できるんだろうか。
家族も、友達も、大切な人さえもおざなりで、そのくせ自分のことは大事に大事にして、本当に自分本位な毎日。
自分の話ばっかりで、話を逸らされると
「いまその話ししてない。」
は?なんなんだ偉そうに。
わたしが逆の立場だったら蹴り飛ばすぞ。
大切な人たちを、大切にして行きたい。
たくさんの愛を、わたしも返したい。
わたしよりもきっとずっとしんどくて、休みもなくて大変なのに、変わらず愛してくれるあの人に、連絡が少ないとか、冷たいとか、そんなこと言う資格はないし、思ってもないけど、会えないのは寂しくて、だけど会いに来てなんて図々しいこと言えなくて、かといって会いに行くなんて面倒なこと言えなくて、会いたくて会いたくて、夜になると毎晩あの人のことを思い出す。
研修で、同期と話していて愚痴の吐き出し合いになったとき、わたしそう言えば愚痴なんてないなとふと思った。
つい数ヶ月前まで愚痴しかなかったし、口を開けば愚痴が流れるように溢れて来て、コミュニケーション下手なわたしでも、きっと愚痴なら何時間でも話せるんじゃないかと思っていた。
彼と出会ってから、周囲に苛立たなくなった。
彼と出会ってから、あんなにもギスギスしていた家族とも穏やかに生活できるようになった。
彼と出会ってから、わたしは、変わった。
彼と出会ってから、わたしは、心にゆとりができて、穏やかになって、前向きになった。
今は、社会の荒波に揉まれて、自分の中では処理しきれなくて、溺れそうになるのが現実だけど、ここで溺れて流されてないのは、彼の存在のおかげかもしれない。
自己肯定感が低くて、自分に自信がなくて、そんなわたしに根気よく愛を伝えてくれて、なのにそれを素直に受け入れられないわたしを、優しくあったかく、ゆっくり待ってくれた彼に出会って、わたしは、以前よりは自分のことが少し好きになったし、自分を大切にしようと思えるようになった。
たくさんのありがとうと、わたしも彼にとってそういう存在でありたい、そういう存在になりたいと思う日々。
こんなにも人生が楽しくて充実してて、毎日がキラキラしてるだなんて、ずっと知らなかったんだよ。
継続は、力なり。
さて、あと少し働けばGW。
頑張りましょっと。
おやすみないです。
終わりは始まり
自分や家族と同等に、いや、もしかしたらそれ以上に大切だと思える人が出来てから2か月と少しが経った。
わたしは今まで、自分のことを大切だとは微塵も思っていなかったし、実際自分のことを大切にしようと思ったこともなければ、大切にもしていなかったように思う。
ただ、バカ真面目で優柔不断で臆病で面倒くさがりな性格のせいで、自分で自分をボロボロにするような事態は意識的には無意識かはわからずとも避けて来たのが唯一の救いだと思う。
自分や家族と同等もしくはそれ以上に大切なあの人とわたしは、家族のように、なにがあっても愛情を注ぎ続けてくれる関係ではなく、わたしの言動ひとつで関係性がすぐに壊れてしまうかもしれないような脆い関係。
ライン一つ返すのにも、電話で一言を発するのにも恐怖が付き物で、平気な顔をしながらその恐怖と毎日戦っている。
なにも考えずにぽーんと何かを発信した日には、後から後悔の念で押しつぶされそうになる。
「嫌われたかな」なんで思うのは、「嫌われたくない」証拠で、つまり大切なんだなあ、とか思いながら、わたしにそんな相手ができたことに喜んでくれる友人もいて、ひょっとして、今、わたしは、人生の頂点にいるんじゃないか?とか。とかとか。
大切な人が出来てから、わたしは、自分自身とあの人、だけじゃなくて、家族や友人も大切にするようになったと思う。
わたしを、良い方向にばかり変えてくれるあの人の存在に助けられている代わりに、なにも出来ないなにもしないわたしに、自己嫌悪の念が芽生える。
わたしって、なんなんだろう。
そんな調子だから、こんなわたしを無条件にいつまでも愛し続けてくれるなんて思ってないし、思わない。
でも、愛し続けられたいし、わたし自身も愛したいと思ってる。そのために、愛され続けるために、日々の日常から自分自身を見つめ直す必要があると思っている。
素直になるのが昔から苦手で、15歳のわたしからは、「相変わらず見栄っ張りですか?自分に素直になってください。」だなんて言われてしまった。わたしは相変わらず見栄っ張りだよ。
でも、「苦手」とか「得意」とかじゃない。
一緒にいたいから、そのためなら、わたしは、素直にもなる。素敵にもなる。一緒にいたいと思ってもらえるような魅力のある人になる。なりたい。
そんな活力をくれるあの人に感謝感激。
4月からも、いろんなこと、頑張るよ。頑張ろうね。やっほー、社会人、がんばってる?ひゅーひゅー!
続かなくてもいい。好き。
そんなことを言っていたけど、今は、ちゃんと続きたい。続けるために、努力したい。続きたいよ。
未来のことなんてわからないけど、どんな道だろうととにかく幸せな未来が待っていますように。
おやすみなさい。
p.s. さくまさん最後の話させてーや。寂しい。これからもずっと、いままでもずっと、大好き。さよなら。
好きとか愛とか恋とか
目まぐるしい毎日に追われて、ここその存在を忘れていたわけじゃないけれど更新できない日が続いていた。
最近、自分自身の考えがわからなくなるほど混乱することがあったので文章にして改めようと思う。
わたしはいつも1人で生きてきたから、誰かが常にずっと無条件に味方でいてくれる喜びを知らなかった。
誰かの一番になりたいくせに、その人にとっての一番が自分じゃないことに気づくのが惨めで、初めから誰も一番にしてこなかった。
友達にすら、「わたしと一緒で大丈夫?」とか聞いちゃうこの感じ。お疲れ様。
自己肯定感も低いし、わたしを好きでいてくれる人なんていないし、もしいたってそれは一時的なもので、って思ってて。いや、思ってる。
わたしが捕まえたかったあの人の背中は、いつも気がついたら消えてるから。
手を差し伸べてくれて、大丈夫?と声をかけてくれて、死ぬほど嬉しくて、頼ってみようって思った大人たちは、みんな愛想をつかしていつのまにか消えて行った。
永遠なんてないし、きっと一時の感情なんだろうけど、それでも真っ直ぐ向き合って好きだと行ってくれるあの人がすごい。尊敬の域。
なんであんなに真っ直ぐに好きって言ってくれるんだろう。言えるんだろう。自分に自信があるのかなあ。わたしには到底無理だ。
それにわたしなんかに好かれたら迷惑だろうなあと思うと好きだなんて到底言えないや。
好きって言ってくれてるんだし、わたしも好きなのに、うまく答えられなくて、相手にも申し訳ないし、自己嫌悪だし。
このままじゃ、好きになったらわたしはどんどん依存してしまうから。
相手は素敵な人だし、新しい恋だってすぐできる。
そう思うと居ても立っても居られないけど、わたしと一緒にいるよりも幸せなんじゃないかなと思う。
大好きなくせに、まだ好きじゃない、好きじゃない、好きじゃないって自己暗示をかけて自分を誤魔化して
そんな誤魔化しを、出会ってからの時間が僅かであることと、明確な好きという理由がないことで正当化した。
でも、好きになるのに時間も理由も必要なかった。
わたしはもっと、自分自身のこと恋愛に対してドライな体質だと思ってたよ。
こんなに毎日電話したりできるようなタイプだとは思わなかった。周りにも驚かれるしね。
だからこそ、好きって自覚したらどんどんのめり込んでしまうと思う。
こんなにズブズブ浸かるだなんてなあ。
1ヶ月前の自分じゃ想像もできなかった。
別に好きでもない人の隣にいるより、遠距離だしいつまで続くかもわかんないし危なっかしいけど、大好きな人の隣にいるほうが、自分にとってもずっとずっとずっとずっと幸せだと思う。
その大好きな人は、わたしにとってのその人だと思う。
続かなくても良い。好き。
早く体調良くなりますよーに。(自分)
勉強
勉強する。
それになんの意味があるんだろうと、ふと考える。でもわたしは勉強する。
「人生、最後まで発見と驚きの連続だよ」
どこかで聞いたことがあるようなないような。わたしは信じてないよ。
20年と少し、生きていたけれど、驚くことも、悲しむことも、ひらめくことも、ぐんと減った。
なんでこんな勉強してんのかなーあーあーあーとか思いながら、今日もまた図書館に向かって、机に向かう。向かう向かう向かいまくり。
いい就職先に出会うため?賢い人たちと出会って人生を豊かにするため?はたまた誰かを騙したりするの?人を助けるの?なんのため?ねえなんのため?
勉強して何になるの?
疑問は募るばかり、でもわたしは勉強するよ。
なんのために勉強するかなんて、わからないけれど。
生きることと死ぬこと
生きることと、死ぬこと
どっちが辛いんだろう、苦しいんだろうと考えたのが昨日の夜。
結局、「生きてても辛いことばかりだから、生きることのほうが死ぬことよりもずっと辛くて残酷だ」という結論にたどり着いて、目を閉じた。
心の底から憎くて、悲しくて、辛くて、でも醜い感情を持ってしまう自分に更に腹が立った。
グラグラ、グツグツ。
疲れもあって、しばらく布団の中で考え事をしていたら寝ていた。
朝起きたら、なんでもない日常だった。
昨日の感情も、どうでもいいほどあっけらかんとしている自分に呆れつつ、朝の支度をした。
昔、母によく怒られた。
母は前日の夜にとても怒っていても、朝起きるとおはよう、と言って朝ごはんの準備をしてくれていた。
それがどれだけ凄いことなのかを、思春期に入って気づく。
わたしの怒りは寝ても治らなかったから。
でも今日はなんだか違った。とても悔しくて、悲しくて、辛かったのに。傷もまだ痛むけれど、あんなに痛かった心は痛くなかった。
歳を重ねて、痛みに鈍感になったのか?はたまた慣れなのか?経験なのか?大人になったのか?
もう明日から笑えないや、と投げやりになった人生も、寝て起きたら案外すっきりとしたくだらないことで、やっぱりもう少し生きてみようかな、と思った。明日明後日を、生きてみよう。
死ぬことは、生きることよりずっと簡単だけれど、それでも生きていたいと、思う、そんな日もあったって、いいじゃない。
また今日も寝たら明日が来て、いろんなことがあるんだろうね。
また辛いことがあったらいっぱい寝よう。
そうしよう。
おやすみなさい。